1982年
- ●九州、博多で元ザ・モッズ、ザ・ロッカーズのメンバーと共にアクシデンツを結 成。九州ベースでの活動を拡げていく。
1983年
- ●博多初のインディ・レーベル[Jukeレコード]より『Night Time』(30cm、4曲入EP)発売。[宝島]誌上などで取り上げられ、東京でのライヴも活発化。
1984年
- ●徳間ジャパンより『Human Zoo』でメジャー・デビュー。そのサイケデリックなポップ感が好評を博し、1stシングル『雨のメインストリート』が仙台FMチャート1位を獲得。
1987年
- ●久保田麻琴(サンディ&ザ・サンセッツ)プロデュースによるオーストラリア・レコーディングによる『Destiny』を発表(これを含め計4枚のアルバムを発表)。このアルバムを最後にアクシデンツ解散。
1989年
- ●本田毅(ex. PERSONZ)、奈良敏博(ex. SHEENA & THE
ROKKETS)、三原重夫(ex.スターリン)、柴山和彦(ex. エキゾチックス)ら強力なバック・メンバーを迎え、SMILEY
& SMILEとして活動する。
1990年
- ●博多で活動していたTHE HIGHのメンバーを中心にSMILEY & THE
DOCTORS結成。パーマネント・バンドとして94年まで活動。
1992年
- ●下北沢シェルターで<スマイリー・プレゼンツ>と銘打ったイヴェントを毎月開催(92年1月から93年2月まで計14回)。多数のニュー・アーティストを発掘。
- ●下山淳(ex.ザ・ルースターズ)、KYON(ex.ボ・ガンボス)との共同プロデュースによるオールナイト・イヴェント<夜間徘徊助長演奏会>(92〜94年)をスタートさせる。33回に渡るロングラン・イヴェントになり、オールナイト・イヴェントのパイオニア的存在となる。
1993年
- ●下山淳、高橋重幸(GLASS)らと共にサイコ・レーベル(GLASS、60/40、藤沼伸一、じゃがたら、SMILEY
& THE DOCTORS、JAZZY UPPER CUTなどをリリース)発足に参加し、CD制作等に携わる。
1994年
- ●R.A.B.(青森放送)「木曜、金曜ワラッター」でパーソナリティをつとめる(94年4月〜95年1月)。
- ●11月にサブ・カルチャーの発信地として注目される下北沢にスポットをあて、<SMILEY'S
CONNECTION 5Days>をスタートさせる(第1回目は THE GROOVERS、遠藤ミチロウ、The Chang等が出演)。
1995年
- ●当初5DAYSでスタートした<SMILEY'S CONNECTION>も各ライヴハウスとの コミュニケーションとその興味深いカップリングにより、5月から10日間のイヴェントとなり注目を浴びる。11月には95年の集大成としてON
AIR WESTにて5DAYSを決行。
- ●4月から始まった日本のインディーズをメインに紹介する、「オールナイトニッポン・ミラクルヒッツショウケース」(ニッポン放送:土曜2部3:00〜5:00a.m.)にてレギュラー・コメンテーターをつとめる(96年9月より金曜1部に移り、97年3月終了)。
1996年
- ●また、その多彩なコネクションで「WeeklyオリコンThe Ichiban」誌上にて<SMILEY'S
TALK>(月1回)と題した対談ページを連載。96年2月より現在までで14回目を迎え、そのゲストには陣内孝則、辻仁成、どんと、ミッシェル・ガン・エレファント、ブルーボーイ、J(LUNA
SEA)、仲野茂、石橋凌、忌野清志郎などの個性的なメンツでアナーキーなトークを掲載(98年2月終了)。
- ●他にも陣内孝則と共にFM横浜「横浜メンタイ倶楽部」(土曜深夜0:30〜1:00)のパーソナリティをつとめ、フレンドリーなトークをON
AIR(98年3月終了)。
- ●この間にもセンセーショナルな話題を降り巻いたガールズ・イヴェント「Lady Steady
Go!」(96年3/8、9/22、それ以降名称を「GIRL'S TALK」として97年3/6)をプロデュース、また、インディ・メジャーをシャッフルしたハイパーギター・ポップフェスティヴァル「Guitar
Lightnin' Horror Smilin'」を開催(共にオールナイト・イヴェントとして新宿リキッドルームで年2回ずつのレギュラー・イヴェントとして継続中)。